わば邪淫の美貌だったに違いありませんが、その検事の顔は、正しい美貌、とでも言いたいような、聡明な静謐(せいひつ)の気配を持っていました)コセコセしない人柄のようでしたので、自分も全く警戒せず、ぼんやり陳述していたのですが、突然、れいの咳が出て来て、自分は袂からハンケチを出し、ふとその血を見て、この咳もまた何かの役に立つかも知れぬとあさましい駈引きの心を起し、ゴホン、ゴホンと二つばかり、おまけの贋(にせ)の咳を大袈裟(おおげさ)に附け加えて、ハンケチで口を覆ったまま検事の顔をちらと見た、間一髪、
「ほんとうかい?」
ものしずかな微笑でした。冷汗三斗、いいえ、いま思い出しても、きりきり舞いをしたくなります。中学時代に、あの馬鹿の竹一から、ワザ、ワザ、と言われて脊中(せなか)を突かれ、地獄に蹴落(けおと)された、その時の思い以上と言っても、決して過言では無い気持です。あれと、これと、二つ、自分の生涯に於ける演技の大失敗の記録です。検事のあんな物静かな侮蔑(ぶべつ)に遭うよりは、いっそ自分は十年の刑を言い渡されたほうが、ましだったと思う事さえ、時たまある程なのです。
自分は起訴猶予になりました。けれども一向にうれしくなく、世にもみじめな気持で、検事局の控室のベンチに腰かけ、引取り人のヒラメが来るのを待っていました。
背後の高い窓から夕焼けの空が見え、鴎(かもめ)が、「女」という字みたいな形で飛んでいました。
[#改頁]
第三の手記
一
竹一の予言の、一つは当り、一つは、はずれました。惚(ほ)れられるという、名誉で無い予言のほうは、あたりましたが、きっと偉い絵画きになるという、祝福の予言は、はずれました。
自分は、わずかに、粗悪な雑誌の、無名の下手な漫画家になる事が出来ただけでした。
鎌倉の事件のために、高等学校からは追放せられ、自分は、ヒラメの家の二階の、三畳の部屋で寝起きして、故郷からは月々、極めて小額の金が、それも直接に自分宛ではなく、ヒラメのところにひそかに送られて来ている様子でしたが、(しかも、それは故郷の兄たちが、父にかくして送ってくれているという形式になっていたようでした)それっきり、あとは故郷とのつながりを全然、断ち切られてしまい、そうして、ヒラメはいつも不機嫌、自分があいそ笑いをしても、笑わず、人間というものはこんなにも簡単に、それこそ手のひらをかえすが如くに変化できるものかと、あさましく、いや、むしろ滑稽に思われるくらいの、ひどい変り様で、
「出ちゃいけませんよ。とにかく、出ないで下さいよ」
そればかり自分に言っているのでした。
ヒラメは、自分に自殺のおそれありと、にらんでいるらしく、つまり、女の後を追ってまた海へ飛び込んだりする危険があると見てとっているらしく、自分の外出を固く禁じているのでした。けれども、酒も飲めないし、煙草も吸えないし、ただ、朝から晩まで二階の三畳のこたつにもぐって、古雑誌なんか読んで阿呆同然のくらしをしている自分には、自殺の気力さえ失われていました。
ヒラメの家は、大久保の医専の近くにあり、書画骨董商、青竜園、だなどと看板の文字だけは相当に気張っていても、一棟二戸の、その一戸で、店の間口も狭く、店内はホコリだらけで、いい加減なガラクタばかり並べ、(もっとも、ヒラメはその店のガラクタにたよって商売しているわけではなく、こっちの所謂旦那の秘蔵のものを、あっちの所謂旦那にその所有権をゆずる場合などに活躍して、お金をもうけているらしいのです)店に坐っている事は殆ど無く、たいてい朝から、むずかしそうな顔をしてそそくさと出かけ、留守は十七、八の小僧ひとり、これが自分の見張り番というわけで、ひまさえあれば近所の子供たちと外でキャッチボールなどしていても、二階の居候をまるで馬鹿か気違いくらいに思っているらしく、大人(おとな)
セコメントをする