少女病 (そのまま形式)
2010-03-30


「いや、それは説明ができる。十八、九でなければそういうことはあるまいと言うけれど、それはいくらもある。先生、きっと今でもやっているに相違ない。若い時、ああいうふうで、むやみに恋愛神聖論者を気どって、口ではきれいなことを言っていても、本能が承知しないから、ついみずから傷つけて快を取るというようなことになる。そしてそれが習慣になると、病的になって、本能の充分の働きをすることができなくなる。先生のはきっとそれだ。つまり、前にも言ったが、肉と霊とがしっくり調和することができんのだよ。それにしてもおもしろいじゃないか、健全をもってみずからも任じ、人も許していたものが、今では不健全も不健全、デカダンの標本になったのは、これというのも本能をないがしろにしたからだ。君たちは僕が本能万能説を抱(いだ)いているのをいつも攻撃するけれど、実際、人間は本能がたいせつだよ。本能に従わん奴(やつ)は生存しておられんさ」と滔々(とうとう)として弁じた。

       四

 電車は代々木を出た。
 春の朝は心地(ここち)が好い。日がうらうらと照り渡って、空気はめずらしくくっきりと透(す)き徹(とお)っている。富士の美しく霞(かす)んだ下に大きい櫟林(くぬぎばやし)が黒く並んで、千駄谷(せんだがや)の凹地(くぼち)に新築の家屋の参差(しんし)として連なっているのが走馬燈のように早く行き過ぎる。けれどこの無言の自然よりも美しい少女の姿の方が好いので、男は前に相対した二人の娘の顔と姿とにほとんど魂を打ち込んでいた。けれど無言の自然を見るよりも活(い)きた人間を眺(なが)めるのは困難なもので、あまりしげしげ見て、悟られてはという気があるので、わきを見ているような顔をして、そして電光(いなずま)のように早く鋭くながし眼を遣(つか)う。誰だか言った、電車で女を見るのは正面ではあまりまばゆくっていけない、そうかと言って、あまり離れてもきわだって人に怪しまれる恐れがある、七分くらいに斜(はす)に対して座を占めるのが一番便利だと。男は少女にあくがれるのが病であるほどであるから、むろん、このくらいの秘訣(ひけつ)は人に教わるまでもなく、自然にその呼吸を自覚していて、いつでもその便利な機会を攫(つか)むことを過(あやま)らない。
 年上の方の娘の眼の表情がいかにも美しい。星――天上の星もこれに比べたならその光を失うであろうと思われた。縮緬(ちりめん)のすらりとした膝(ひざ)のあたりから、華奢(きゃしゃ)な藤色の裾(すそ)、白足袋(しろたび)をつまだてた三枚襲(さんまいがさね)の雪駄(せった)、ことに色の白い襟首(えりくび)から、あのむっちりと胸が高くなっているあたりが美しい乳房(ちぶさ)だと思うと、総身が掻(か)きむしられるような気がする。一人の肥(ふと)った方の娘は懐(ふところ)からノートブックを出して、しきりにそれを読み始めた。
 すぐ千駄谷駅に来た。
 かれの知りおる限りにおいては、ここから、少なくとも三人の少女が乗るのが例だ。けれど今日は、どうしたのか、時刻が後(おく)れたのか早いのか、見知っている三人の一人だも乗らぬ。その代わりに、それは不器量(ぶきりょう)な、二目とは見られぬような若い女が乗った。この男は若い女なら、たいていな醜い顔にも、眼が好いとか、鼻が好いとか、色が白いとか、襟首が美しいとか、膝の肥り具合が好いとか、何かしらの美を発見して、それを見て楽しむのであるが、今乗った女は、さがしても、発見されるような美は一か所も持っておらなかった。反歯(そっぱ)、ちぢれ毛、色黒、見ただけでも不愉快なのが、いきなりかれの隣に来て座を取った。

続きを読む
戻る

コメント(全0件)
コメントをする


記事を書く
powered by ASAHIネット