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コメント(全2件)
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ksn ― 2010-04-16 18:10
長いコメントするよ。
る。それでも、あの大きな木が、全部は焼けなくてしあわせであった。たとえば池の北側に、大きなまっ黒く茂った枝を水面近くまでのばしている、あの木などもこの池の景色をスペシファイする一つのだいじな要素になっているのだが、あれなどの助かったのはしあわせである。毎年この木の下で、ディップサークルをすえては、観測の稽古
けいこ
のお相手をして来た私には、特にそんな気がする。
 あの木の下の水面に睡蓮
すいれん
がある。これはもちろん火事にはなんともなかったに相違ない。ことしの夏、どこかの画学生が来てあれを写生していた。モネーの有名なシリーズがなかったら、ああいう構図は、洋画としてはオリジナルかもしれないが、今では別に珍しくはなさそうである。もっとも対象はいくら古くても、目と腕とが新しければ、いくらでも新しい「発見」はできるはずだろうが、私の見たできばえでは、そうでもなさそうであった。
 あの睡蓮は近ごろのものである。もとは河骨
こうほね
のようなものと、もう一種の浮き草のようなものがあったのだと記憶している。ことしは睡蓮が著しく繁殖して来た。紅白二種のうちで、白いほうが繁殖力が大きいように思われる。実際そうであるか、どうか、専門家に聞いてみなければわからない。事実はどうだか知らないが、もしそうだとすると、これは一つのおもしろい問題になりそうである。それから、もし、睡蓮が他の水草を次第に圧迫して蔓延
まんえん
するか、しないか、これも問題である。物好きな人があったら、年々写真でもとっておいて、あとで研究したらおもしろそうである。
 ついでながら、池には大きな鯉
こい
がかなりたくさんいる。あたたかい時候には時々姿を見せるが、寒中には、どうしているかさっぱり見えない。大きなすっぽんもいるそうだが、私はまだ見た事がない。あの火事では鯉やすっぽんもずいぶん驚いた事だろう。あの時に一度池の水の温度でも測ってみたらよかったと、あとで思いついたが、当時はそれどころではなかった。事によると薄いスプルングシヒトぐらいはできていたかもしれなかった。
 鯉については、某教授に関する一插話
いっそうわ
がある。教授が池を見おろしながら、小使いの某君と話していた。教授が「あいつを食ったらうまいだろうな」とひとり言のように言ったのに答えて、小使いが、あまりうまくないとか、苦
にが
いとか言ったそうである。これに対する教授の電光のようなリマークは「ヤ、貴様食ったな」というのであった、と伝えられている。事実は保証しない。
 鯉
こい
やすっぽんのほかに、ブルフログを養殖しようという話もあったと記憶しているが、結局おやめになったと見える。もしほんとうに、あすこに、大きなブルフログが繁殖して、大きな声でも上げているのだと、少なくも何事かを考えさせられそうである。場所がらだけに、少なくも新聞の青鉛筆子や漫画子の材料にはなっていたかもしれない。
 池のみぎわでおたまじゃくしの行列を見る事もある。あの行列の道筋に何か方則があるだろうか、水流と何か関係があるだろうか。そんな事をだれかと議論した事があった。もちろんなんの結論も得られなかった。
 冗談はさておいて、この池が、これまでに、いろいろのまじめな研究の材料を供給している事も、数え上げれば、少なくないようである。
 池中に棲息
せいそく
するある生物の研究を、学位論文の題目とした先輩が、少なくも二人はあるそうである。
 田中館
たなかだて
先生が電流による水道鉄管の腐蝕
ふしょく
に関する研究をされた時、やはりこの池の水中でいろいろの実験をやられたように聞いている。その時に使われた鉄管の標本が、まだ保存されているはずである。
 月島丸
つきしままる
が沈没して、その捜索が問題となった時に、中村
なかむら

(省略されました)
いちかわ ― 2010-04-16 18:30
こんにちわ〓

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